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R2-1 第4戦 鈴鹿サーキット決勝 |
1999.05.30(日) |
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125クラス表彰台の、加藤義昌(3位)、菅谷慎一(優勝)、岡田純一(2位) |
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GP125の決勝レースは、気温がぐんぐん上昇する中で開始された。その中で飛び出したのは3番手グリッドスタートの菅谷慎一。しかし、その直後ポールポジションの仲城英幸にトップを譲り渡すが、「仲城さんと2台でのバトルにしようと目論んでました」との言葉通り、その後は後続の追撃を凌ぎながら、仲城の後ろにピタリと付く。レース中盤には、加藤義昌に加えて後続から菊池寛幸、青山博一、藤岡祐三らが加わり、一時は6台のトップ争いになるが、仲城と菅谷のペースが上がるにつれて、後続4台のバトルが激しくなり、次第にトップ2台と3位争い4台の構図に変わっていった。 トップ仲城とそれを追う菅谷の間の均衡が崩れたのは、11周目、スプーンで菅谷がインから仲城を抜き、一瞬トップに立つが、マシンが走っている仲城は、バックストレートで菅谷をあっさりとパス。再びトップ仲城、次いで菅谷の順でトップ争いが続いた。この段階では3位集団との間には7秒以上のアドバンテージが開いていたが、トップ2台の均衡は次の12周目に大きく崩れた。トップのままシケインに進入した仲城がリアタイヤを滑らせてスリップダウン。「仲城さんのタイヤの消耗を狙って後ろに付いていきました」という言葉通り、その後のレースは菅谷の単独レースになった。結局、トップはそのまま菅谷が独走で今季2勝目を飾った。レース終盤に、後続グループが追いついて9台もの大集団になった2位争いは、最終ラップに至って各コーナーでバトルを繰り広げる目の離せない展開となった。最終的にその激しいバトルを制して2位に入ったたのは、予選2番手スタートながら、出遅れて追い上げた岡田純一、3位には久々の全日本ロード参戦となった加藤義昌が入賞した。仲城は転倒後に必死でマシンを起こして再スタートを切り、12位でフィニッシュしている。 |
[優勝した菅谷慎一選手のコメント] 「予選から仲城さんが独走すると皆予想していた。でも、マシンはメカニックの皆や監督が仕上げてくれると信じていました。本当に感謝しています。仲城さんが転倒した後、10秒のアドバンテージがあったので、残り3周あったけど、皆より3秒遅くてもいいんだと考えていました。ポイントよりも勝てたことの方が嬉しいです」 |
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250クラス決勝グリッドの加藤大治郎。左はFN参戦中の脇阪薫一。 |
開幕4連勝で絶好調の松戸直樹のウィニングラン。 |
250クラス表彰台の、嘉陽哲久(3位)、松戸直樹(優勝)、加藤大治郎(2位) |
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GP250の決勝レースは、加藤大治郎のダッシュで始まった。抜群のスタートを決めた大治郎は、そのままレースをリードしようとする。その後ろに宮崎敦、松戸直樹、嘉陽哲久が続く。しかし、松戸が大治郎に迫り、バックストレッチで大治郎に追いつき、テールTOノーズでレースを展開。。嘉陽も後続から抜け出して、トップの2台を追う構えを見せている。早くもGP250の決勝レースは、松戸、大治郎、嘉陽の3台に絞られたようだ。 一方のトップから3台は徐々にペースを11秒台へと落としながら、等間隔のまま続き、結局最終的に松戸がこのクラスタイ記録となる開幕4連勝を飾った。2位に大治郎、3位には「月日は流れてここに居たって感じ」との名コメントを残した嘉陽が入った。 |
[優勝した松戸直樹選手のコメント] 「テストで2分9秒が出ていたけので、調子は良かった。決勝ではS字でやや強引に大治郎選手を抜いたが、どうしても前に出たかったから。それ以降は、ピットサインを見ながら後ろとの差を確認しながら自分のペースで走りました。新記録の開幕5連勝は考えずに、次のレースも勝つことを考えます。」 |
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初ポールポジションから見事2位をゲット。「僕はワークスと同じ意識です」という玉田誠。 |
ヤマハYZF-R7に全日本ロード初優勝をもたらした。「ノリユキ(芳賀紀行)には負けられない」と貫禄の吉川和多留。 |
SBクラス表彰台の、北川圭一(3位)、吉川和多留(優勝)、玉田誠(2位) |
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目の保養に、一服の清涼剤。R2-1クィーンたち。間違ってもBBクィーンズではない。念の為。 |
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4戦目にして全日本ロードで優勝を獲得!! |
SBの決勝レースは、梁明の絶妙のスタートで幕が切られた。直後のデグナーカーブでは3番手に付けていた芹沢太麻樹がスリップダウン、早くも戦列から姿を消す。影響で北川圭一が大きく遅れるという波乱もあった。初ポールポジションを得た玉田誠はやや遅れてスタートしたが、2周目に伊藤真一が井筒仁康と梁をパスしてトップに立つと、6位までポジションを上げていた玉田も吉川和多留をかわして5位へ浮上。この時点でのオーダーは伊藤、梁、井筒、武石伸也、玉田、吉川、辻村猛の7台がトップ集団を形成した。 その後、レース前半に玉田が井筒、梁を攻略して、伊藤の背後に迫る見事な走りを見せると、5周目には伊藤をパスして念願のトップに立つ。トップに立った玉田は、激しくなった伊藤、吉川、井筒の2位争いを後目に、その差を広げていく。10周を過ぎて、そろそろピットインの準備が行われる頃、さらにヒートアップする2位争いは、13周目に伊藤のインに強引に突っ込んで失敗に終わり遅れた井筒の焦りによるシケインでの転倒で、2台に変わる。その間隙を付いて伊藤をストレートでパスした吉川が2番手に浮上。 17周目には伊藤が、18周目には玉田がそれぞれピットイン。フロント・リアともにタイヤを交換して15秒前後の作業を終えて再びコースへ。その間、トップに立った吉川がリードを大きく広げる作戦だ。「ピットインのタイミングは自分が指示して決めた」という吉川は21周目にピットへ入り、給油、フロント、リアともにタイヤ交換を行い10秒少々でピットを後にした。その結果、吉川がコースに復帰した時には玉田と伊藤の争いに約5秒ほどの余裕を残してトップのポジションを守っていた。 その後、吉川はそのアドバンテージを最大の武器に、玉田と伊藤がバトルを展開する間にじりじりと差を広げていった。そのバトルは、30周目に入る目前のシケインでトップに立った伊藤が、次の周回の第2コーナーで転倒したことで決着がついてしまう。その間にも安定したペースで周回を刻む吉川が98年開幕戦以来、R7では全日本ロードで初となる優勝を獲得した。伊藤の転倒で2番手になった玉田は、後ろに迫る北川を振り切って、見事2位表彰台を獲得。「最初に遅れたのがキツかったのと梁のマシントラブルで自分のマシンも気になった」と言いながらも怒涛の追い上げを見せた北川が3位、4位にはR7での最高位となる辻村が入った。 |
[優勝した吉川和多留選手のコメント] 「事前テストで2分9秒台が出ていたので、レースウィークに入ってから色々トライしてみたが、ことごとく外れて、不本意な予選だった。決勝ではすべて元に戻して、あとは行くだけという気持ちだった。伊藤真一選手をなかなか抜けなかったが、ストレートで抜くことができ、トップに立ってからは安定して2分10秒台で走れたので、精神的にも余裕が出てきましたね。鈴鹿8耐では他のメーカーも大きく替えてくるだろうから、気を抜かないでいきたいですね」 |
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